笹枯れがおよぼす影響

1:笹枯れの経緯

芦生だけでなく、2001年~2003にかけて、京都~福井にかけて笹が急激に減少しました。
ほんの15年前までは、京都北山登山といえば「笹漕ぎ」といって、笹を左右に押し分けて入ることが多かったものです。 一部は背丈を超える熊笹が生い茂っていて、 道しるべは張り出した木の枝からぶら下がっているところも珍しくありませんでした。 踏み跡も、なんとなく笹密度が薄いところをかき分けると見えてきました。

正確な年は確認できませんでしたが、2001年ごろ笹が一斉開花し、枯れて新株に更新される時期を迎えたようでした。 このころは、不幸にも、京都の鹿の増加が激しくなりつつあった頃でもありました。

成長した笹は硬く、鹿は好んでは食べませんでしたが、新芽や笹のタケノコは好物です。 笹枯れのあと、新しく出てきた若芽は鹿に食べられ、京都~福井の多くのところで笹が復活しない状況が継続しています。 鹿の食害が比較的少ないところでは、細々とですが、笹が残っているところも見られます。 この残っている笹をいかに広げるかが、今後の課題です。

2:笹枯れの影響

・鹿の嗜好性

笹がれの影響を考える前に、鹿の嗜好性は状況に応じて変化することを知っておかねばなりません。
現在の嗜好性は九州森林管理局の ヤクシカ好き嫌い植物図鑑 のHPに詳しく載っています。

ススキは本来、好きでない植物です。ですから、芦生の麓の生杉でススキは食べられていません。 しかし、野田畑湿原(本サイトの地図の「長治小屋」の「治」のあたり)では、 ススキは食べられています。 (右写真は野田畑のススキ)

芦生より一足先に食害が進んだ京都北山、桟敷ヶ岳~雲ヶ畑~愛宕山では、各所で「九輪草」が大群落を作っていました。 群落の規模は2011年にピークを迎えました。
これは他の植物が鹿の食害にあう中、九輪草は鹿が嫌いな植物であったことが原因だと考えられます。

しかし2012年より、その九輪草の花が食害に被害にあい始め、2013年は花の最盛期直前に多くの花と蕾が食べられ、 葉も所々かじられ始めました。
まだ九輪草本体を根こそぎ食べるまでには至っていませんが、個体の大きさや群落の規模は縮小に向かっています。

北山で長年保護の対象としてきた「山芍薬」が林道横の荒れ地に進出するなど、近年勢力を伸ばしつつあるのも、 鹿が関係しているのかもしれません。 山芍薬は、若芽も含め、鹿は現時点で目もくれません。 残念ながら、山芍薬は人間による盗掘被害の方が大きく、できつつある群落が根こそぎ消える残念な事態が数知れません。

・笹藪のバリア効果

笹はところにより人間の背丈ほどに密生して人が通れないような藪を作ります。
笹が繁茂した場所を歩くことを考えてください。
まず、足元が見えません。石や倒木や穴、その他の障害物を隠してしまいます。 人間の場合、手でかき分けて足元を確認しなければ一歩が踏み出せません。 鹿の場合も、蹄がそれほど丈夫ではないので、人間と同じです。
足元を一歩ずつ確認しなければ障害物に足を取られます。

笹が大きく繁茂したところでは、視界さえ不十分になります。 人間の場合は、上方の木枝にテーピングしなければ歩けないこともあります。
臆病で、天敵を警戒している鹿の場合、周りの視界が聞かない場所での心境はどうでしょうか。

また笹は鹿にとって空腹時の食料になります。
一日に1.5kg以上の食料を必要とする鹿にとって、藪を漕いで奥地の草を食べるのと、手元の笹とどちらを食べるでしょう。

笹が繁茂すると、鹿の移動を妨害することができます。また、笹は鹿の食物になります。 もし笹の開花と笹枯れがなければ、こんなにも急に、北山~芦生の下層植生が消滅することはなかったかもしれません。