管理責任の所在。

ゆらぐ登山のありかた。

谷間に自動車道が敷設される前は、山の民家は尾根伝いにありました。 谷より尾根の方が歩きやすいので、この方が作業林や隣の集落への移動が有利です。 これは、谷間への水汲みよりも優先されました。 民家が谷間に造られるようになったのは、自動車道の普及が主な要因です。 北山や芦生の登山道は、自動車以前の作業道や、若狭湾と京都を結ぶ旧街道を受け継いでいます。

ところで、使わなくなった作業道は、十年もたたないうちに藪が生えてふさがれます。 道を維持するためには、だれかが労働力と費用を負担しなければなりません。
かつての北山のように、土地所有者の善意とクラブのボランティアで成り立っているところもあるでしょう。 電力会社が送電線の管理目的で維持しているところもあるでしょう。 自治体が、自然歩道として整備しているところもあるでしょう。

自然探勝者は、これらの善意によって開放された山道を自己責任で歩かせてもらっているのです。
しかし、こんにち、この本質は揺らいでいます。

一つの要因は、登山の観光レジャー化です。 登山を観光産業につなげようとするとき、魅力のある宣伝をすればするほど、安易な登山が広がります。 ブームや宣伝で動く登山者は、自然の快適さを山に求めます。山の危険、山村の実態はその次です。 本質的に山の実態を無視しがちとなり、ゴミ問題を引き起こしたり、遭難事故を招きます。

しかし、ゴミ問題や過剰な安全要求は表面に現れる現象にすぎません。 「観光レジャー化」の真の罪は、山の存在のありかたを根本から変えることにあります。 観光は、集客を目的とした経済行為です。客は交通費も含め支払った額への対価を当然のように求めます。 山の存在価値が、消費されるアトラクションを提供する場所へと、変質します。 山に対する畏敬の念は、山をレジャーの対象として捉えた瞬間に、崩壊しているのです。 対価を求める観光客に自主的なマナーを期待することは、矛盾した行為です。

林業も同様です。先祖から受け継いだ森を守りその一部を自然からいただくと捉えるのか、 経済手段として対価を期待して投資していると捉えるのか。
この現象は身近なところでは、食事前の「いただきます」の意味にも当てはまります。 食物となった命に対する感謝と祈りの言葉から、食事製作者や食費負担者への労をねぎらう言葉に変わりつつあります。 食事も支払の対価になりました。
このように、得られた対価によって行為の価値を判断することを”成果主義”と呼びます。

もう一つの要因は、社会・経済構造が、成果主義傾向になるなか、身を守るため各所で 「自身の責任はここまで」と囲い込むことです。縦割り行政が叫ばれて久しいですが、これは行政だけでなく 多くの組織で進行しています。何か事件が起きたときのニュースのあり方として、 事件の背後関係などの本質的なことを深く掘り下げた記事よりも、事件の責任を追及する記事が多い様に感じます。
問題解決行動の開始にあたり、組織内のローカルルールを優先する例など、 正または負の対価が発生した要因を容易に特定できるよう、可能な行為の範囲を限定する傾向を”管理主義”と呼びます。 これは成果主義のもたらす弊害の一つです。 私たちの考え方自体に成果主義・管理主義の影響が入り込んでいるのです。 そんな中、後に国立公園のあり方を変える事件が起きます。

大台ヶ原・大杉谷事件

昭和58年(1983年)12月20日、大台ヶ原・大杉谷吊り橋死亡事故の判決が下されました。 最高裁まで争われましたが、三重県は吊り橋の管理責任を問われ、敗訴しました。 この判決の影響は、大台ケ原・大峰の自然を守る会の田村義彦氏の 「大杉谷吊橋事故の損害賠償請求訴訟とその影響」「行政の責任転嫁としての自己責任論」 に詳しく述べられています。

概略を述べますと、大台ヶ原の大杉谷コースで、老朽化して「通行制限、一人づつ静かに渡ってください」 と警告が書かれた吊り橋に、11名が同時に渡ろうとし、吊り橋のメィンワイヤが切れて死亡事故が起きたというものです。
そもそもの登山計画が無茶でした。初心者52名のグループで、昼に大台ヶ原駐車場に着いて、それから大杉谷を下り、夕方までに谷の中間にある山小屋に着く計画でした。 その上、大人数では時間がかかるからと、予定どおりに着くためには制限一人の吊り橋は3人同時に渡らせるよう事前に申し合わせていたのです。 そして、別グループに制止されたにもかかわらず、無視して吊り橋を渡ろうとしました。

同様のことが今日起きたら、たとえば、これが学校行事やボーイスカウトの行事だったら・・・。 まず、引率者が厳しく責任を追及されるのではないでしょうか。

しかしこの裁判は違いました。遺族は、この登山を企画実行した観光サークルではなく、吊り橋の設置者を訴えたのです。 この橋は昭和37年にかけられ、昭和48年の安全点検で老朽化を認め、掛け替えを国に要請しましたが、予算の都合で却下されていました。 そのあとのフォローがなく、メィンワイヤが腐食して強度が設置時の1/10になって切れたのだから、国・県には吊り橋の管理責任があると主張しました。

一審で裁判所は「大杉谷・・・は1泊2日の登山コースしては比較的楽な、登山というよりはハイキングというべきコースであり、 スカートやヒール靴をはいたままの登山者もあること、近鉄がこれを一般用の登山コースとして宣伝していること・・・」 と、現実とは異なる事実認定を行いました。 警告看板についても「監視員の配置」など「確実性のある具体的措置を講ずべき義務があった」と認定しました。
そして、吊り橋の管理責任を認めたのです。
大台ヶ原といえば「雨」。午後はいつ降ってもおかしくない地域です。多くの雨によって大杉谷は深い渓谷が刻まれています。 本来は、大台ヶ原で一泊して、登山装備を完全にして、朝から歩き、昼過ぎには小屋に入るべき急峻なコースです。
控訴審でも国・県は大杉谷コースの現実を訴え、そもそもの登山計画のずさんさを訴えました。 しかし、控訴審判決の理由に、この件は全く反映されませんでした。

どうして、こんなことになったのでしょう。これには裁判制度の本質が関わっています。

裁判は「被告に対する原告の請求が正しいか」を判断する場ですから、被告でも原告でもない観光サークルの行為を裁くことができません。 ですから、国・県は、観光サークルの指導に従った登山者自身の「過失」が事故原因なので、自損事故であると反論するしかないのです。 しかし死亡した32歳の男性は、初心者でサークルに参加しただけです。
彼の過失は「リーダーが「3人ずつ」渡ろう。」と指示したのを無視した」ことだけなのです。

田村義彦氏によると、この判決をきっかけに、各所の登山道で過剰なまでの整備が行われ、登山道周辺の自然が失われていったとのことです。

最高裁でも、争点は吊り橋の管理責任の所在のみです。 吊り橋は、国立公園事業の一部であるから国にも管理責任があるとの遺族の主張に対して、 国立公園の営造物は、それぞれ個別に国に補助金を申請・判断するものであり、 吊り橋は主として県の負担で立てたのだから、管理責任は県にあって国にないとの判決でした。

八甲田山・城ヶ倉渓谷事件

城ヶ倉渓谷の渓流歩道は、渓流の両壁が柱状節理の発達した岩壁となっていて、落石の危険が常に伴っていました。 平成12年、渓流歩道を通行中の72歳の男性が落石を頭に受けて死亡する事故が起きました。 渓流歩道は昭和49年、倒木負傷事件が起きたため一旦閉鎖されていたのですが、 地元観光産業の強い要望により青森県が9874万円をかけて整備を行い、平成5年に再開していました。 安全管理対策として、意識啓発用の簡易軽量型ヘルメットの無料貸し出し、入渓届けの義務づけ、 「登山道と同じ装備が必要」と記載したパンフレット、 「常に落石・転落事故の発生が考えられ・・・危険であることを認識・・・」との看板を入り口に掲示していました。 また毎年修繕・整備を行い、定期的な巡回点検を行い、平成5年から事故が起きた平成12年まで県は4600万円を投じていました。

青森県は、渓流歩道は「遊歩道」ではなく「登山道」だから、 利用者が自然の危険性に対し注意を払う必要のない程度にまで安全なように整備する必要がない、と主張しました。 しかし、裁判所は、平成5年~平成12年までの間に31,226名もの利用客が入渓していたことを考えると、 利用客が自らの責任と注意に基づく行動を求められる「登山道」であったということはできない、と判断しました。 利用客の数字は年間に直すと4,000人にすぎません。県が安全管理に使用した費用は利用者一人あたり4600円にのぼります。 けれども裁判所は「通行禁止の措置を取っていれば事故は発生しなかった」として、県の管理責任を認めたのです。

十和田・奥入瀬事件

奥入瀬渓流の遊歩道の近くで、38歳の女性が食事を取ろうとしていところ、 高さ17mのブナの枯れ木の上7mの部分が折れて落下し、半身麻痺の後遺症を伴う重傷を負いました。 ここは自然維持タイプに区分され、環境大臣の許可なく立木を伐採することが禁止されている国立公園の特別保護地区の中です。 また、この場所は国が整備した2つの遊歩道の切れ目の空間にあたり、自然の道のような形状でした。そこにはベンチも置かれていました。 切れ目の空間の長さは40mほどですが、ここを通らなければ二つの遊歩道を続けて歩くことができませんでした。 この場所から階段を伝って50m先には国道に面した休憩所がありました。

それで、

  • 国・県が整備した場所ではない、遊歩道の切れ目の空間(自然道)の管理責任が問えるのか。
  • 天然木であるブナの木は管理対象としての(建物同様の)工作物に当たるのか。

の二つが主な争点になりました。判決は、

  • この場所は休憩施設のある渓流散策地として機能していた。 この場所は、遊歩道と一体となって観光客が使うように機能させていたと認められるので、 たとえ国・県が整備した遊歩道に当たらなくても、国・県には管理責任がある。
  • 天然木であっても、一定の管理をしてその効用を受けている場合は、工作物に当たる。 天然木の定期点検を行い、天然木が公園の景観・風致を維持しているのだから国・県には管理責任がある。 朽ち木の伐採は許可を得ればできるので、特別保護地区の指定は不可抗力の理由にならない。

と下されたのです。

芦生を国定公園の中の遊歩道として整備できるのか

芦生公認ガイドのガイドトレックに参加した経験のある方は、倒木のことを繰り返しお聞きになっていると思います。 私がある植物を調査をしている上谷でも、年に数本の倒木が発生します。
2014年5月10日に作業をした私の観測ゲージ上に、5月17日、ブナの枯れ木が倒れていることを見つけました。 私は毎週調査を行って、枯れ木の存在も知っていましたが、これが春の普通の日に倒れるとは予想もしていませんでした。 私が無事だったのは偶然の幸運です。この倒木で私は作業前の周辺確認を徹底する教訓を得ました。

倒木は森の更新、新たな芽吹きになくてはならないものですから、倒木を取り除いたり、移動させたりすることは 自然の維持に反します。公認ガイドはそのような生きた芦生の森の更新を解説しています。 そしてどの木が次に倒れそうか毎週確認しながら、倒れることを前提にガイドを行い芦生探勝者の安全を確保しています。 芦生にはこれ以外の社会教育(自然観察)を目的とする一般入林者も入林届け提出の上認めていますが、 一般入林者に倒木障害事故が起きていないのは偶然の幸運です。

現在は、研究林の入林は、調査研究か教育利用の目的以外に認めていません。一般入林者に対しても制限をかけ、 自己責任の原則をもって、許可しているにすぎません。

しかし、 京都大学フィールド科学教育センター年報2012 では、2012年1年間の入林者は延べ人数で、ガイドトレック3,931人、学生実習885名、その他野外学習711名。 全利用者が11,082名ですから、差引、5,555名が一般入林しています。 この規模は城ヶ倉渓谷の年間約4,000名を大きく越えています。

従って、国定公園として整備した場合、入林者の安全について、上の判例と同じ管理責任を、京都大学と南丹市が追うことになります。 ところが、先述どおり、芦生で倒木のコントロールをおこなうことなど、どだいできませんし、してはならないのです。

国定公園としての整備を行えば、「利用者が自然の危険性に対し注意を払う必要のない程度にまで安全性なように整備する」ことが求められ、 倒木を含めた「森の更新を見せる芦生自然観察トレッキング」の教育的利用価値は消滅します。
それはもう、芦生ではありません。

判例については次を参照してください。

  1. 大杉谷事件の一審:神戸地裁昭和55(ワ)607号、判例時報1105号107頁
  2. 同 控訴審:大阪高裁昭和58(ネ)2565号ほか、判例時報1166号67頁
  3. 同 最高裁(国側):昭和60(オ)901号
  4. 奥入瀬事件の一審:東京地裁平成16(ワ)14597号、判例時報1931号83頁
  5. 控訴審 :東京高等裁判所平成18年(ネ)第2721号:御器谷法律事務所のサイトに経過が記載されています。
  6. 城ヶ倉渓流の一審:青森地裁平成18(ワ)50号