芦生を巡る諸事情

芦生研究林の価値

芦生研究林は京都府の北東に位置し、福井県、滋賀県と接しています。 面積は約42km2です。 これは京都では京田辺市全域、東京なら山手線主要部、上野-東京-新橋-澁谷-新宿-池袋を結ぶエリア一帯に匹敵する面積です。 そしてその半分が原生林です。残りの半分弱は天然更新の豊かな2次林、造林研究用の植林区画は6%ほどです。 これほど広範囲な天然の冷温帯の森は、芦生以外にはほとんど残っていません。

標高は600~700m前後ですが、2014年の上谷実測で、8月の平均気温は21~23℃、最高でも28℃程度、8月初旬でさえ雨が降れば最低気温は17℃まで下がります。 湿度は90%を越える時間帯が多くを占め平均85%以上、地下5~7cmの地温は18℃程度で20℃を滅多に越えません。 2月には平均気温は氷点下1~2℃まで下がり、最低は-5℃程度、時々-10℃あたりまで下がります。ただし地温は2℃を保ちます。 積雪は12月半ばから始まり、溶けるのは4月半ば、最大積雪は2mほどです。 近隣京都や舞鶴との標高差から予想されるよりも冷涼な気候で、ブナ林が広がっています。 近隣より冷涼さが残る要因として、地形的な影響もあるでしょうが、広大な自然が残り、乾燥化が進む都市の影響が少ないこともあるでしょう。

芦生研究林の最大の特徴は、冷温帯林を"環境丸ごと"研究使用しながら保存しているという、世界にも例を見ない保存形態にあります。 高山の奥の秘境と違い、入林も比較的容易で、90年以上前、機械文明以前は芦生や生杉の人々も里の奥山として利用してきた歴史があります。 環境の良いところだけ、希少な動植物のあるところだけ局所的に保護しているのではありません。 動植物の調査は、他の小範囲の森でも可能ですが、冷温帯の森の"環境そのもの"の調査は、広大な芦生をおいて他にありません。

今、地球温暖化が進行し、世界の温帯の森にどのような影響を与えるのかが注目されています。 直接的な機械文明の影響を受けてこなかった芦生の森の環境が、これからどう変化して行くのか、その情報こそ、地球温暖化後の世界の森林環境の保護と再生、農林業への影響と対策を立てるための鍵となるでしょう。

芦生研究林を取り巻く経済問題

その芦生研究林に、経済の大きな波が押し寄せています。

その一つは"地上権更新問題"です。

研究林は京都大学の公用地ではありません。土地の所有者は知井村九ヶ字財産区で、京都大学は知井村から地上権を借りています。 芦生研究林の土地は、知井村九ヶ字(芦生,田歌,白石,佐々里,江和,河内谷,中,南,北の旧9村)の共有山林で、芦生集落に接していることから「芦生」の名を冠しています。 この地上権設定契約が2020年に切れます。

もう一つは"国定公園の指定"です。

2007年8月に丹後天橋立大江山国定公園が指定されたとき、美山も国定公園の候補になっていました。 美山は選定から漏れました。 しかし2010年頃、環境省から、京都府は国定公園の面積が小さいのでどこかを指定しなさいと言われて、美山の国定公園話が突然降って来ました。 特別地域の区域分けが2014年9月に実地調査なく発表され芦生集落は混乱しました。 同時に、研究林の研究用登山道を主な自然鑑賞路として利用する案が京大との相談なく発表され、京大も混乱しました。

最も深刻なのは"新自由主義"です。

選択と集中の名のもと、弱者切り捨てが競争の結果の当然のこととして語られるようになりました。 地方経済の疲弊は工業輸出中心の経済政策の結果でしかないにもかかわらず、地方の努力不足にすり替えられ、農林業の企業化まで公然と語られるようになりました。 教育の分野も、文学部廃止に象徴されるように、換金できない研究分野が削減されます。 これに伴い、芦生の保護のために知井地区の人々に委託していた公的事業も、規模を削減されようとしています。 芦生保護を語る以前の問題として、芦生を支えてきた人々の生活に、不安が差し込んでいます。

この局面を各組織が個別で動いては十分対応しきれません。 芦生・美山は将来どうあるべきか、地権者、知井地区住民、美山、大学、南丹市、京都府で協議しなければならない時期なのです。 しかし、地権者との調整役である行政は法令遵守や管理責任を強く求められるようになり、 各部署の権限の狭間で、情報開示と保護の狭間で、地元に公開された協議会を十分に設定できないでいます。 さらに行政の効率化の名目で担当職員数は僅か。 研究林の方針を決めるべき大学は相次ぐ研究・維持費削減に苦労し、さらに職員数を削られ、 また、美山観光協会も地域一帯から観光産業振興策の成果を期待され、 いずれの職員も精神的な負担が大きくなっています。 結果として、各所がそれぞれ一生懸命考えているのに、全体を一体として調整しながら進めるまでには至らない。
美山の不安は、方針が自分たちの努力で決められない、自らの意志を一同に協議する場所なく、自らの意志とは無関係に進んで行く様に感じる中から生じているように思えます。

みなさん、一緒に芦生の将来を考えましょう

芦生研究林を観光開発する美山トレイルのことがネット上で流れ、芦生研究林の今置かれている微妙な立場が私たちに知らされたことは、 ある意味で大きなチャンスです。 私はこれを機会として、芦生で調査・研究させて頂いている一人の教育関係者としての立場で、 また芦生に残された自然を私たちの子孫に残したい一般市民としての立場で、 そして植物好きの一ファンとしての立場で、意見を表明させて頂きます。

芦生は、かつて貴重な植物の宝庫でした。しかし深刻な鹿の食害のため緊急の保護が必要になり、 入林制限が行われています。
下草を中心に多くの植物が数を減らし、消滅の危機にあります。 しかし、環境全体としてみれば、他と比べて格段に濃い自然が残っていて、回復の可能性は十分あります。 けれども、ここを観光開発すれば、危機に瀕した自然にとどめを刺してしまいます。
しかし逆に、全く人が入られなくしても、同時に鹿の侵入をなくさない限り、鹿の食害は加速するばかりです。 また、鹿の頭数を抑えるためには、頭数削減を支える事業的な仕組みを築かなければなりません。
芦生を多用な植物遺伝子の箱船として次世代子孫に渡し未来の生命産業の可能性を広げ、 温暖化がもたらす自然環境の本当の変化を記録し来るべき時代に備える、 その方法を早急に探る必要があります。 ここには人間の力では決して作ることのできない自然が残っているのです。

みなさまも、最善の方法を一緒に考え提案しませんか。 私たちには意見表明しかできませんが、そこが大切なのです。 すべてを行政・職業政治にゆだねるのではなく、ある事象に課題を感じたときに一般市民が、 それぞれの視点で異なった意見表明を行う、個別で臨時の市民政治参加こそ、現代民主主義の本質なのですから。

内容

  • 芦生研究林の概況や歴史については、 研究林のサイト をご覧ください。
  • 最近の芦生に関する話題は、 京都新聞のサイト が参考になります。
  • 出版物では、
    • 「芦生の森から」、鈴木元(編)、かもがわ出版、2004改訂
    • 「由良川源流 芦生 原生林植物誌」、渡辺弘之(著)、ナカニシヤ出版、2008
    があります。