経済問題

1:進行する教育の新自由経済

京都大学フィールドセンター芦生研究林は2015年7月30日付で 教育関係共同利用拠点 に認定されたとのことです。 ところがこの裏で、熾烈な技官人数削減交渉があった様です。 人文学部の存続が危ぶまれていることに象徴されるように、産業に直接かかわらない分野の予算がことごとくカットされ、 芦生フィールドセンターのような、長期的基礎研究が主な研究機関に対する廃止圧力が増し、どこの教育機関でもその対策に苦慮、 いや、辛酸をなめさせられています。 国定公園施設を研究林敷地に設置する京都府の2014年の提案を研究林が断った背景には、この人数削減問題が影響したのではと芦生地区で話題になりました。

ニュースでも紹介されていますが、OECDの 図表で見る教育2014年版 に、日本の教育予算の状況が書かれています。 最終学歴を除く初等中等教育(概ね高校卒業まで)の予算の対GDP比は2.9%であり、OECD加盟国平均の3.9%と比べ著しく低い。 一般政府支出に占める教育予算の割合は9.1%であり、OECD加盟国平均の12.9%に及ばず、加盟国の中で2番目に低い。 最終学歴(大学など)の教育費はGDPの1.6%で、OECD加盟国のほぼ平均に当たるが、公的支出はその34%に過ぎず、66%は家計が担っている。 最終学歴に公的支出が占める割合はGDPの0.5%で、OECD加盟国平均の1.1%の半分にも満たない。

大学進学者を”受益者”と言うようになって、教育費を負担することが当然だというようになったのは、小泉政権の頃からでしょうか。 この傾向は近年、専門学校におよび、専門学校と関連企業が連携するようになってきました。 大学や専門学校で、自費で知識や技術を身につけてから企業に入る。 これを”夢の実現”と言うことに多くの人が違和感を覚えなくなりました。 教育費は子供や家庭が負担する。これが世界基準の視野から見れば変だということは、OECDデータが示す通りです。 子供を、国や企業も協力して、一人前の社会人や技術者に育てる。これが本来の姿です。 成長した子供が働いてもたらす社会的利益は、やがて国や企業に入るのですから。受益者は国や企業です。

世の風潮が、文学部廃止、産学連携に理解を示すことに、戦慄を覚えます。 いわく、会社で役に立たないことを学んでも効率が悪い。
しかし、効率とは、あるシステム(環境)内での最適化のことですので、環境激変後は全く役に立ちません。 得意分野への特化が時に自滅を招くことはシャープ株式会社のテレビ事業失敗の例を出すまでもないでしょう。 東証一部上場のニッカトーなど中小企業の中にニッチな分野に特化しつつも多角的な物作りによって元気に活躍しているところがあります。 一見無駄で非効率的に見えても、興味を覚えたことを信念を持って貫き通すことにしか、次代を乗り切る力は宿りません。 短期的な利益追及ではなく、長期的な生き残り戦略を可能にする多用な考え方の醸成。大学教育の存在意義はそこにあると考えます。

ではなぜ教育の効率化なのか。目的は一つ。教育予算の削減、弱者切り捨ての正当化です。OECDデータが示す通りです。
日本はいつの間に、子供を大事にしない国になってしまったのでしょうか。
本気で教育を再生させたいのなら、口は出さずに、金だけ出すべきです。監査も要りません。そのかわりに全会計公開で十分です。

2:地方振興策の名で行われる、地方からの収奪

癒着と無駄遣い防止の名目で行われる一般競争入札ですが、一般競争入札は一方で、地元の商業の衰退を招きました。 中央大手の企業の価格に、地方の中小企業が勝てるはずがありません。

今回の国定公園整備でどれだけの利益が地元に流れるのか疑問でなりません。

本当に「地方創生」というのならば、地元にのみ収入が入る様に、入札は地元だけで活動している企業に限定しなければなりません。 さもなければ、大きな工事は全てゼネコンの地方出張所に持って行かれ、地元企業にはその2次、3次下請けの仕事が主になります。 あとに残るのは、膨大な管理責任と管理経費です。これは全て地元負担です。自然環境整備交付金の対象になりません。

地元限定入札は実現できるのでしょうか。 公共工事は、技術を持ったところに落札させて一定の技術水準を維持するという名目で、 過去の工事実績をもとに作られた企業の格付 (等級区分) によって、入札できる公共事業の規模に制限が設けられているのです。 これでは、実績のない中小企業は永遠に入札にすら参加できません。

そして美山の建設事業者の多くは土木一式格付IVですから、現実問題として入札にすら参加できません。 事業の多くはゼネコンに持って行かれ、美山は丸投げの下請けに甘んじます。 さらに自然環境交付金は施設建設費以外、たとえば建設後の運営ソフト整備や維持費や人件費には使えないので、 これらは全部南丹市の財政にのしかかります。 結果、交付金をゼネコンに回収させる抜け道に地方が利用されるだけで、地元には維持費負担を残します。

「地方創生」など、税金を中央企業へ利益を貫流させる抜け道にすぎません。 「地方創生」という言葉に、だまされてはなりません。

沖縄に10兆円を越える経済振興策が投入されましたが、沖縄の経済復興は道半ばです。 米軍基地の土地の権利が投機対象になって多くが中央企業の持ち物となり、基地の地代すら沖縄県民には満足に入らないカラクリが隠れています。 誰が地方を経済投機の道具にして地方経済を破壊してきたのか、そこを直視せずして地方再生などあり得ません。

これまで、中央・都市部に対する人材育成や食料生産だけを里山にさせて、その労働力を吸収し尽くしたあげく、 里山衰退の原因をその経済政策に求めるのでなく、地方の経済発展努力の怠慢だと決めつけ、 地方創生の名のもと、地方交付税を使って最後に残された自然環境資源までも中央ゼネコンや大手観光事業者に差し出させる。 沖縄の米軍基地も原子力発電所も里山の衰退も、全部同じ経済問題です。

本気で地方創生を言うなら、まず、地元が元請けとなって事業を受注できるシステムを作るべきなのです。
京都府の本気度に期待します。 自治体主導の共同企業体設立を許可する特区申請や条例制定など、やれることは何でもやって欲しいと思います。